闇の中から……

 昔むかしがあったとさ。
ある小さな村で若い娘が次々と行方知れずになるという、不思議な事件が起こったそうな。
 それもみんな夜寝静まっているうちにいなくなってしまったのだから、さあ大変。
 山の神が花嫁にするために娘たちをさらっていったという噂が村中を飛び交い、天地がひっくり返るような騒ぎになったそうな。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇

 その日の夜はとても蒸し暑かった。

「うぅ…………ん。暑くて眠れないよう」
あやめはあまりの暑さに耐え切れなくなり、ベッドから身体を起こす。
隣のベッドではルージュが熟睡している。

「喉……乾いたなぁ……」

 あやめたちが泊まっている宿の部屋の片隅には、小さな冷蔵庫が備え付けられている。あやめは冷蔵庫から何か冷たい飲み物を出して飲もうと思い、ベッドから立ち上がった。

 そのとき。

「………………?」
 あやめは、ふと人の気配を感じた。
目を凝らして見てみると、いつのまにか部屋の入り口の近くに一人の男が立っていた。暗がりで顔はよく見えないが、背丈はフォッカーと同じ位だろうか。

「…………フォッカー? どうしたの? こんな時間に…………」
 隣の部屋に泊まっているフォッカーが訪ねてきたものと思い、あやめはいぶかしげに問いかけてみた。

 が、男は答えない。

「ねぇ、フォ……!?」
 そう言いかけて、あやめはハッと気がついた。
この部屋は中から鍵が掛けられていて、外からは入れないはず。
ちょうどそのとき、窓から月の光が差し込んできて、男の顔を照らしだす。

 それは能面のように無表情な、全く見知らぬ顔であった。

(フォッカーじゃない! じゃあ、こいつは一体…………!?)
 警戒するあやめに男が無言で近づくと、いきなりあやめの右腕をガシッと片手で鷲掴みにした。
「……痛っ!ちょっと何するのよ!」
 突然の出来事とあまりの痛さに、あやめは抗議の声をあげた。
だが、男は相変わらず何も言わない。
「離せ!離せったら!!」
 男の手を振りほどこうと、必死にもがく。
だが男の力は強く、あやめが抵抗すればする程あやめの腕をさらに握り締めてくる。あまりの激痛にあやめの顔が苦しく歪み、汗が滝のように流れる。

「待ちなさい!」

 あやめの叫び声で目覚めたルージュが、男の前に立ちふさがった。

「ル、ルージュ!助けて!」
「あなた誰!? あやめちゃんに何しようとしてるの!」

 男はルージュを無視し、あやめの腕を引っ張って壁の方へ歩みはじめる。
「あやめちゃんから離れなさい!」
ルージュはあやめを引き離そうと男の腕を掴んだ。

 が、
「きゃあっ!」
物凄い力で振りほどかれ、もんどり打って倒れる。

 男はあやめを引っ張り、どんどん壁に近づいていく。
すると次の瞬間、なんと男の体が壁にスーッと入っていくではないか!

「ルージュ、ルージュ!」
「あやめちゃん!」

 ルージュは慌てて、もがきながら引きずりこまれていくあやめの左腕を掴み、ありったけの力を込めてこちらへ引っ張ろうとする。
 が、ルージュの必死の行動も空しく、あやめはどんどん壁にのめり込んでいく。それどころかルージュの両腕までも吸い込まれていく。

「く……あ、あやめちゃん……」
「ル……ジ……ュ……たす……フォ……カ…………」

ついにあやめが完全に壁の中へ消え、ルージュの両腕が肘のところまで壁に入ってしまった。

「ダメ……引きずりこまれる!」
 ルージュはそう思った。